【1/4回】古墳時代の特徴と中国国内の動向
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『読むだけ日本史』の第五回目は、古墳時代に入ります!
古墳時代は「動乱の時代」と呼ばれ、日本国内だけではなく、中国や朝鮮各地でも争いが起こっていました。
一般的に古墳と聞くと大きい墓をイメージすると思いますが、外国の動向にも注意してみていく必要があります。
それでは、始めていきます。
※古墳時代は全4回を予定しています。
- 【第一回】古墳時代について
- 【第一回】古墳時代の中国国内の動向
- 【第二回】古墳時代の朝鮮国内の動向
- 【第三回】古墳時代の日本国内の動向
- 【第四回】古墳の種類と特徴
古墳時代について
古墳時代は、3世紀中頃から7世紀末までの400年間。3世紀中頃、日本各地に古墳が造営されたことをきっかけに古墳時代が始まります。
この時代も特徴によって「前期・中期・後期」に区分され、石室や古墳の形態が変化してくのを覚えておきましょう。
※こちらの内容については、「【第四回】古墳の種類と特徴」でやります。
空白の4世紀
弥生時代と同様に、この頃の日本はまだ「文字」を持っていませんでした。そのため、日本国内の情報を知る手がかりは、外国の歴史書のみです。
しかし、先程も言ったように古墳時代は「動乱の時代」。
中国、朝鮮国内でも争いが起こっていたため、日本の様子を記録する余裕がありませんでした。
その為、4世紀の日本について知る手がかりはなく、この100年間を空白の4世紀と呼ぶようになりました。
古墳時代の中国国内の動向
弥生時代に栄えた「魏・呉・蜀」の時代に終わりが訪れると、3世紀後半に「晋(しん)」が中国統一を果たします。
この晋は、魏の重臣「司馬炎(しばえん)」によって265年に建てられました。
290年に司馬炎が崩御すると後継者の息子である「司馬衷」が「恵帝(けいてい)」として任命されます。
しかし、司馬衷は知的障害を持っていたため、上手く政治をすることができませんでした。
そこで、ここぞとばかりに権力を狙う皇族の「八人」の「王」が内乱を起こします。これが「八王の乱(はちおうのらん)」です。
力をつけた異民族との争い
八王の乱では、移民族の傭兵を多様していたこともあり、ここにきて異民族は力をつけるようになりました。
八王の乱で内部体制が崩れている所に目をつけ、異民族の「匈奴(きょうど)」が晋に戦いを挑み勝利をします。
さて、異民族との戦いに敗れた晋の多くの人達は処刑されてしまいますが、一部この処刑を逃れた皇族が南へ逃げ延び晋を再建します。
この再建された晋の東西では政治体制が異なっていたため、西を「西晋」と呼び、東を「東晋」と呼ぶようになりました。
五胡十六国時代のはじまり
一方、中国の北部では異民族や中国民族が権力争いを繰り広げていました。この時代を「五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)」と言います。
なぜ、五胡十六国時代と呼ぶのか。
それは、「匈奴(きょうど)」「鮮卑(せんぴ)」「羯(けつ)」「氐(てい)」「羌(きょう)」と呼ばれる5つの異民族が合計で16の国を建てたことに由来します。
『胡(こ)』という字は、中国の異民族を指す言葉なので覚えておくと、暗記が楽かもしれません。
南北朝時代のはじまり
398年に北魏が誕生、「華北(中国北部)」を統一すると、五胡十六国時代に終わりが訪れます。また、中国南部では、東晋が滅ぶと「宋(そう)」という国が建国されます。
その結果、北と南に2つの「国(王朝)」が建国され南北朝時代に入っていきます。
まとめ
今回は古墳時代の中の、中国の動向について見ていきました。中国だけ見ても、様々な争いが起きていたことが分かって頂けたと思います。
次回は、朝鮮の動向について見ていきますので、よろしければ御覧ください。