【2/4回】古墳時代の特徴と朝鮮国内の動向
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『読むだけ日本史』の第6回目です。
今日は、古墳時代の朝鮮国内の動向について見ていきます。
中国国内の動向よりボリュームは少ないですが、国の位置や名前を覚えておかないと混乱してしまうので注意しましょう。
※古墳時代は全4回を予定しています。
- 【第一回】古墳時代について
- 【第一回】古墳時代の中国国内の動向
- 【第二回】古墳時代の朝鮮国内の動向
- 【第三回】古墳時代の日本国内の動向
- 【第四回】古墳の種類と特徴
古墳時代の朝鮮国内の動向
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97
朝鮮半島北部には紀元前1世紀ごろから『高句麗(こうくり)』とういう国がありました。
一方、朝鮮半島南部には『馬韓(ばかん)』『弁韓(べんかん)』『辰韓(しんかん)』と呼ばれる小国家群が形成さていきます。
小国家群とは、いくつかの国の集合体という意味。つまり、いくつかの小さい国が集まって一つの国を形成している状態を指します。
上にある朝鮮半島南部の画像を見てみると『馬韓(ばかん)』『弁韓(べんかん)』『辰韓(しんかん)』という国は存在していません。
実は、元々は『馬韓(ばかん)』『弁韓(べんかん)』『辰韓(しんかん)』という国が、4世紀に統一されることで、『馬韓→百済(くだら)』『辰韓→新羅(しらぎ)』という国になるのです。
弁韓は統一国家ではないのですが、弁韓のあった地域を『伽耶(かや)』と呼ぶようになります。
百済から送られた『七支刀』
出展:http://www.isonokami.jp/about/c4.html
奈良県の『石上神宮(いそのかみじんぐう)』には、百済王の大子から倭王に送られたとする『七支刀(しちしとう)』が保管されています。
この刀は特殊な形をしていて、刀身の左右に各3本ずつ、段違いに刃が付けられているものでした。
7つの刃があるので、七支刀と呼びます。
刀身の表と裏には以下の文字が彫られています。
(表面) 泰□四年(□□)月十六日丙午正陽造百練釦七支刀□辟百兵供供侯王□□□□作
『□』の部分は、刀のサビを落としている最中に一緒に文字が削れてしまい読めなくなっている部分です。
この銘文からは、369年に百済王から倭王に七支刀が送られたことが、読み取れるそうです。
このことから、百済と日本の間には、何かしらの同盟関係があったと考えることができます。
伽耶に設置された『任那日本府』
720年に作られた『日本書紀』を見てみると、伽耶地方に政治組織である『任那日本府』を設置したと書かれています。
これは、日本が伽耶地域に何かしらの影響力を及ぼしていた可能性を示唆するものですが、審議については、まだ分かっていません。