【弥生時代】環濠集落と高地性集落の特徴
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「読むだけ日本史」の資料編「第二回目」です。
今日は、弥生時代に出現した「環濠集落」と「高地性集落」の特徴について見ていきます。当初は、この回で墓地の種類についてもやろうと思っていたのですが、分けたほうが良さそうだったので、次回に回しています。
環濠集落の特徴
「吉野ケ里遺跡」写真①
「吉野ヶ里遺跡」写真②
画像は「吉野ヶ里遺跡」の環濠集落です。
環濠集落とは、集落の周りに「掘(ほり)」や「土塁(どるい)」をめぐらせ、敵の侵入を防ぐ機能をもった集落です。
生活を営むことを基準に作られている集落なので、平野部の水田付近に多く出現ししました。
また、写真の2番目にもあるように「深い溝」「土の壁」などを作り敵の侵入に備えています。
環濠集落は、弥生時代の全期間を通じて出現しています。
高地性集落の特徴
写真は「家賀」にある大規模な高地性集落です。
名前の通り「高い」「土地」にある集落なので、「高地性集落」と呼びます。
この集落は、見ての通り「山の山頂部」や「斜面」に作られており、生活の不便さや稲作ができないことから「逃げ城」として使われていたと考えられています。
※「逃げ城」とは、攻撃を受けた際に、村人立ちが逃げ込む防御施設を指します。
また、一説には高地性集落には戦いの痕跡がないため「交易の拠点」として使用されたという説もあるようです。
出現時期は、弥生時代の中期〜後期にかけて瀬戸内海から近畿地方を中心に出現していました。