【弥生時代】稲作の道具と使用方法を紹介
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「読むだけ日本史」の第二回では、弥生時代の稲作とそれに伴う道具の変化について見てきました。
この回では、「弥生時代の資料編」ということで、実際にどのような道具をどうやって使用していたかを、見ていきたいと思います。
また、資料編は全部で2回を予定しています。
ぜひ参考にしみてください。
弥生時代に使用された稲作の道具
弥生時代の「前期」では「木製農具」を使用し「中期・後期」では、「鉄製農具」を使用していました。
木製農具でも、鉄製農具でも道具の形や使用方法についてはほぼ変わらないので、「こんな物を使っていたんだ」程度に見ておいて下さい。
では、稲作の手順毎に見ていきます。
- 耕す
- 種を蒔く(田植え)
- 収穫
- 脱穀
畑を耕す道具
「 鍬(くわ)」
「鋤(すき)」
出展:http://rekitama-wako.jp/database/seisan/nougu/444-0000.php
畑を耕す道具として登場したのが「鍬(くわ)」と「鋤(すき)」です。
土が固いと稲がしっかりと「根」を張ることができないので、これらの道具で土を柔らかくしてから、種をまいていました。
さて、鍬と鋤はどちらも土を柔らかくする道具ですが、どのような違いがあるのでしょうか。
鍬はみなさんも見たことがあるように、頭の上に振りかぶってから地面に突き刺し手前に引くという形で使用します。
一方、鋤はスコップと同じ要領で地面に突き刺し体重を乗せて土を深く掘ります。
しっかりとした使い分けは不明ですが、鍬で畑の表面を耕し、種をまく場所(少し深くしたい)場所などは、鋤を使用したと推測することができます。
収穫の道具
「石包丁(いしぼうちょう)」
出展:http://www.harc.or.jp/what/vol19.html
種まき(田植え)では、目立った道具を使用していないため、収穫の道具を見ていきます。
弥生時代の前期には、石包丁で穂首刈りを行っていました。
石包丁は、画像でも分かるように石で作られた包丁のようなものですね。これを使って稲の「穂」の部分(米のついている部分)を切り取り収穫をしていました。
「鉄鎌(てつかま)」
一方、「中期・後期」では画像のような「鉄鎌」で稲の根っこから切り取る「根刈り」という方法で稲を収穫していました。
みなさんも畑の近くを通った時に、稲を2つに分けて天日干しをしていた光景を見たことがあると思います。
資料が見つけられなかったので、なんとも言えませんが穂首刈りから根刈へ変わった経緯は稲を乾燥させたかったからではないかと思います。
脱穀の道具
「左:木臼(きうす)」「右:竪杵(たてぎね)」
出展:http://www.geocities.jp/shimizuke1955/3630haruhi.html
次は、脱穀の道具に着いてです。
脱穀とは、米を稲から外す作業の事を言います。
脱穀の時に使われた道具が「竪杵(たてぎね)」と「木臼(きうす)」です。
使い方は、イメージできると思いますが、稲を木臼の中にいれて竪杵でゴリゴリと穂の部分を外します。
餅つきをイメージすると分かりやすいかもしれません。
その他の道具
「左・中:大足(おおあし)」「右:田下駄(たげた)」
出展:http://www.geocities.jp/tadoru_ono/osaka-189.html
次は、稲作をサポートしていた道具について見ていきます。
左と中が「大足」と呼ばれる土の中に、肥料を踏み込む道具です。
右は、「田下駄」と呼ばれる田に足が嵌ってしまうのを防ぐ道具ですね。
どちらも、足に履いて使用をします。
「高床倉庫(たかゆかそうこ)」
出展:http://www.iki-haku.jp/harunotsuji/pho02-03.html
最後に「高床倉庫」です。
稲の保管場所として、みなさんも覚えていると思います。地面より高い位置に床を作ることで、湿気による稲のカビを抑えています。
また、柱のところには「ねずみ返し」と呼ばれるネズミの侵入を防ぐ対策が取られていることを覚えておきましょう。